「デジタル辞書の現在とこれから」第2回は「辞書引きの基本を理解しよう」。“EPWINGと電子ブック”、すなわちCD-ROM辞書の話です。
※このブログ連載は、2022年7月の日本電子出版協会(JEPA)セミナー「デジタル辞書の現在とこれから」の内容を、(我ながら呆れるくらい駆け足でしたので)補足しながらまとめなおしたものです。
WINGフォーマット誕生
1983年、音楽CDをコンピュータの記憶媒体として利用するCD-ROMの規格(イエローブック)が提案され、およそ600MBという当時としては膨大な記憶容量から、辞書・事典などのコンテンツの格納媒体として期待されました。1985年11月には日本初となるCD-ROM辞典「最新科学技術用語辞典」(三修社)が制作されています。
1987年、岩波書店、大日本印刷、富士通、ソニーの共同開発で『広辞苑 第三版 CD-ROM』が発売されました。
この際、辞書の本文テキストのほか、検索用インデクス、参照リンク、外字といった各種データの仕様として開発されたのが「WINGフォーマット」です。翌1988年には『模範六法 昭和62年版 CD-ROM版』(三省堂)、『現代用語の基礎知識 CD-ROM版』(自由国民社)もWINGフォーマットで制作され、CD-ROM辞書(当然フルコンテンツ)の時代が到来しました。
電子ブックのインパクト
とはいっても、当時、CD-ROMを利用するためにはパソコン(高額)のほかにCD-ROM駆動装置(I/Fボードでの接続がけっこう面倒)が必要となり、費用も高額となることから、主に企業や図書館などをターゲットにしたものでした。ちなみに『広辞苑 第三版 CD-ROM』は富士通の業務用ワープロ「OASYS100-CD」専用で、その価格は200万円を超えていました。
そのような状況下(※)の1990年7月、ソニーが電子ブックプレイヤー「データディスクマン DD-1」を発売します。手のひらに乗るサイズでありながら、CD-ROMドライブ、液晶ディスプレイ、キーボードを備え、これ1台でCD-ROM辞書を利用できる情報ツールです。三省堂の『現代国語辞典』『ニューセンチュリー英和辞典』『クラウン和英辞典』『コンサイス外来語辞典』『ワープロ漢字辞典』が収録された電子ブックが付属して、お値段5万8000円。一気にCD-ROM辞書が身近なものになりました。
※1989年2月に、CD-ROMドライブを標準搭載した富士通のパソコン「FM TOWNS」が発売されています。
“電子ブック”は、通常のCDサイズ(直径12cm)ではなく、シングルCDサイズ(直径8cm)のCD-ROMをキャディケースに収める仕様を採用しました。8cmCD-ROMとはいえ約200MBの容量あり、一般的な辞書・事典のデータ格納にはまったく困ることはありません。
ソニーはデータディスクマン発売と同時に電子ブックコミッティーを設立。出版、印刷、取次、ハードウェア、ソフトウェアなど業界の垣根を越えて100社以上が参加して、市場を開拓していきます。ソニーだけでなく、三洋電機や松下電器産業も電子ブックプレーヤーを発売し、電子ブックは辞書・事典分野にとどまることなく数百タイトルがリリースされました。
EPWINGとマルチメディアPC
ソニーの電子ブックは「EBフォーマット」(のちにEBXA)に基づいていましたが、これはWINGフォーマットと共通するところが多い規約でした。そして、その本家WINGも(いろいろあって)「EPWING」と名を変え、動き出します。
1991年10月、岩波書店、ソニー、大日本印刷、凸版印刷、富士通の5社が「EPWINGコンソーシアム」を発足させます。EPWINGは12cmCD-ROMでパソコンもしくはワープロ専用機での利用が前提となり、電子ブックの8cm(キャディケース入り)で原則専用端末という条件と棲み分けつつ、対応コンテンツを増やしていきます。そしてEPWINGの方にはふたつほど特徴的な状況が生まれました。
ひとつめはマイクロソフトWindows95の登場によるマルチメディアパソコン・ブームの波に乗れたことです。パソコン・家電メーカー各社がCD-ROMドライブ搭載のパソコンの販売を競う中、EPWING辞書コンテンツと検索ソフトがバンドル/プリインストールされるようになりました。
ふたつめは出版社が異なる複数辞書のパッケージ商品が出現したことです。1996年に発売されたアスキーの「辞・典・盤」は、『岩波国語辞典』、『研究社新英和・新和英中辞典』、『知恵蔵』(朝日新聞社)、『百科事典マイペディア』(平凡社)を1枚のCD-ROMにまとめたものでした。その後も続々と統合辞書パッケージが制作・発売されています。
辞書引きの基本操作
EPWINGと電子ブック(EB)は、共にWINGフォーマットの系譜に連なるため、検索方法ほか辞書引きの基本的な流れ=ユーザインタフェースが似通っています。EPWINGと電子ブックは1990年代のパソコンほかデジタルツールが一気に普及する時期にデジタル辞書の主流となったため、その基本操作もまた、スタンダードとして定着することになりました。EPWING規約は1997年に「日本語電子出版検索データ構造」としてJIS規約化(X4081)されています。
何を今さらですが、辞書引きの基本は、①検索語を入力する、②その条件に合致した項目リストの中から目的の語を選択する、③選択された項目が表示される、です。EPWING/電子ブックでは、この流れを実現する方法として以下の検索方法が用意されています。
見出し語検索
その名の通り、見出し語(項目名)を指定して検索する方法です。電子ブックでは「単語検索」と呼びます。見出し語の前半部分だけを入力して検索する前方一致検索のほか、後方一致検索、完全一致検索、部分一致(任意一致)検索も可能です。また、EPWINGには複合語等を構成する単語を指定して検索する見出し語条件検索もあります。
条件検索
本文中に含まれるキーワード(事前に用意されたもの)で検索する方法です。5つまでの掛け合わせが可能。
ジャンル別検索
各種の分類や属性などを指定して、その掛け合わせで検索できる方法です。人名項目を「地域」×「時代」で検索したり、漢字項目を「部首」や「画数」で検索したり。
このほか、“検索語の指定”ではありませんが、目次を追っていく要領で、表示されるメニュー項目を選択していくメニュー検索もあります。
EPWING/電子ブックで用意されたこれらの検索方法は最低限のシンプルなものでしたが、一般的な辞書・事典の利用には何とか足りており、多少の不足があったとしてもこの前提の中で各社工夫を凝らして検索を実現していました。
WINGフォーマットの系譜
以上のようにEPWINGと電子ブックはCD-ROMという舞台でデジタル辞書利用者のすそ野を大きく広げたほか、CD-ROMに限らずデジタル辞書全般において、その検索方法や表示方法などのイメージをほぼ確定させました。コンテンツ制作サイドに対しても、デジタル化段階における検索キーの生成や画面表示用の設定などデータ設計の考え方への影響が大きく、実質的なスタンダードとして数多くの辞書コンテンツのデジタル化を後押しすることになりました。21世紀に入ってCD-ROMはその役目を終えつつありますが、現在主流となりつつあるスマホやタブレット向けの辞書アプリに、その血脈はつながっています。